第7話 7月6日


1998年 7月6日 午前10時38分

 朝。西村神社境内は、霧が立ち込めていた。身支度を済ませ、社殿の床下から這い出した私は、注意深く周囲を見回すと、そっと歩き出した。霧のおかげで何も見え穴井が、代わりに自分も他人から見えないはずだ。自然と早足となる。
 白い霧に囲まれ、自分の息使いだけが聞こえる。こうしてみると、この世界から自分以外が消え去ったみたいだった。
 何も見えない……霧に消されている。
 消去。
 デリート。
 イレイズ。
 思考が拡大していく。
 消える……死。
 消す……殺す。
 存在が消えるって、どんなものだろう?
 私自身、多くの人を消した。
 消さなければ、消えるから。
 死んでしまうから。
 ……。
 無性に。怖くなった。身震いする。寒気がした。まるで、霧に自分が消されそうだ。
 見えない。消えてる。どっちが?どっちだろう?消えてるのは私?それとも私以外?
 怖い。わからない。消えてるのはどっちだろう……。
 鈴の音がした。


 息が止まる。
 思考が回復した。
 目を凝らす。前方に、人影がある。消えていない。私も、私以外も。
 さっきの思考が頭をよぎったが、振り払う。
 誰?おそらく、敵だ。武器は?銃?いや、この霧では狙えないはずだ。
 思考がカタカタと積み上がっていく。そうだ。自分はこうあるべきだ。いつだって、冷静に思考するのが私。
 結論……先手必勝。消される前に、消す。
 手の感覚がなくなるほど握り締めていた、私の得物……ナギナタを、スッと持ち上げた。
 鈴の音。
 ……何?
 鈴の音は、人影の方からしてくる。違う。鈴じゃない。ジャラリという、鈴とは似ても似つかない、複数の金属がぶつかりあう音だ。いったい何?
 ……何でもかまわない。相手はもう、私が消すんだ。
 ナギナタを構えたまま、体制を低くする。走り幅跳びの要領で、助走をつけ相手に向かって跳躍する!
 相手が振り返った。でももう遅い。振り上げられたナギナタを、叩き下ろす――――。
 ガキッという、金属のぶつかる音がし、ナギナタが、止まった。
「うっ!?」
 思わず、声を上げてしまう。
「待って!戦う気はありません!」
 霧に包まれた影が、叫ぶ。嘘だ。そんなわけない。
 いったん退き、今度はナギナタを突き出す。かわされた。
「やめて下さい!」
 相手はまだ叫ぶ。思わず私も言った。
「黙れ!おとなしく、消えて!」
「その声は、相川さん?」
「うるさい!」
 さらに、ナギナタを突き出す。しかし、手ごたえはない。
「仕方ない!」
 シャリン。
「うっ!」
 ナギナタが弾かれた。その時。
 ガァン、という、何かがはじける音がした。
「うっ!」
 人影がよろける。
「いけない……。相川さん、早く逃げてください!」
 人影は、ふっと消えた。まるで、霧に消されたかのように。変わって、別の声が響いた。
「おう、紫音じゃねーか。久しぶりだな」
「……林、辰巳?」
 サーッと霧が晴れ、そこに、幼なじみ……政府軍の林辰巳が立っていた。中学に入るまで、家が近所でよく遊んだ、幼なじみ。中学に入るとき、専守防衛軍に入り、それから音信がなかったが……。
「災難だな、紫音。よりにもよってプログラムなんぞに巻き込まれちまって。だから俺が誘ったとき、一緒に軍に志願しときゃ良かったんだ」
 そういって、辰巳は手を差し伸べた。私は、その手を振り払う。
「寄らないでよ……あんたが軍に入ったとき、言ったはずよ。絶交だって」
「おいおい、そう邪険にすんなよ。これから、俺が守ってやるからさ。今だって危なかっただろ?俺が助けたんだぞ」
「余計なお世話、だわ」
 そう言って、踵を返し、歩き出した。
 再び、ガァンという音がした。同時に、腹部に生暖かいものが広がる。
「うっ……!」
 思わず、手を当てた。その手に、真っ赤な血がねっとりと絡み付いていた。林を振り返る。その手には、銃が握られていた。
「邪険にすんなって言ったろう?俺は今、少尉様だぞ?テメェみてーな平民は、逆らったら死ぬんだよ」
 何こいつ……キレてる。
「本当ならこっちで速攻ぶっ殺してるんだが、幼なじみつーことで、これで許してやる。ありがたく思うんだな!」
 そう言って、肩に掛けたマシンガンのようなものを自慢げにたたく。
「くっ……」
 ナギナタに、ぐっと力を込める。腹に、激痛が走った。血がどっと流れるのがわかった。
「おっ、苦しそーだな。何なら、とどめさしてやろーか?」
 くっ、何でこいつにこんな事言われないといけないのよ!?中学に入る前まで、弱気で虚弱だったこいつが、ここまでになるなんて……。
 辰巳が近づいてくる。落ち着け、冷静に考えろ。いいか、紫音。これはチャンスだ。辰巳は油断している。ナギナタに、さらに力を込める。重い。気が遠くなりそうだ。辰巳が、銃口を眉間に突きつけた。
「さて、どうしてやろっかな……」
 今だ。頭を横にずらし、ナギナタで辰巳の胸を狙って、突き出す。
「なにっ!?」
 辰巳が驚きの声を上げる。ナギナタは、その奴の胸めがけ、吸い込まれていったが……。
「うっ……」
 腹から、血があふれた。力が抜ける。ナギナタの軌道が変わるのが、スローモーションで見えた。胸から、肩に。ナギナタに、手ごたえがあった。
「ぐあっ……て、てめぇ!」
 銃口が、再び私の眼前に来た。けど、もう私に力は残ってない。もう、ここまでなの……?
 その時だった。私の頭に、妙なことが起こったのは。
 それは、予感だろうか。何か来る、という思いが、急に膨らんだのだ。違う。自分の中で膨らんだんじゃない。外から、急に飛来したような……何かが……。
 その予感は、当たった。何か黒くて小さな物体が、突然飛んできて、辰巳の背中に当たったのだ。
「ぐおっ!」
 辰巳が悲鳴を上げ、よろける。何かが壊れる音がした。だが、そこで視界は途切れた。そのまま、ふっと意識が遠のき、何か浮き上がるような気がして、何もわからなくなった。


「センセ、センセ!ついに出ましたよ!」
 松平が、騒々しく私を呼んだとき、私は綾取りに飽き、けんだまをしていた。今一、世界一週ができず、少々いらいらしていたところだった。
「何かね騒々しい。今忙しいんだが」
 少し邪険に言う。松平はけんだまを見ると、目を輝かせた。
「おっと、けんだまですねー!?これがまた、得意でして」
「ほう。君、世界一周できるかね?」
「ふふーっ。任せてください」
 松平は私からけんだまを受け取ると、器用にも世界一周を軽々とこなした。
「ほほう。なかなかやるものだね」
「任せてくださいよー、ダーッハハハハッ」
 松平は、陽気に笑った。
「……で、何が出たのかね?」
「おおそうでした。すーっかり忘れるところでしたよ」
 そう言って、松平は頭を掻いた。
「えーと、本日午前10時51分、エリアE-2にてサインイエローを観測。F1が覚醒したよーです」
「何と……。早いな。二日目にして覚醒か。して、F1は?」
「死んではいません。ただ、心拍パターンは微弱です。ほっとくと死にますな」
「よし……確保だ。すぐに近くの小隊員を向かわせてくれたまえ」
「それがですな……。少々厄介なことになってましてですねー」
「何か問題がるのか?」
 松平は、難しそうな顔つきで言った。
「その、近くの小隊員は林少尉なんですがー。先ほどまで、当のF1と交戦中だったんで。その最中、F1は覚醒したらしーんですが……。その後が、イマイチ掴めないんですよ。ゴチャゴチャしてて。どうやら、M8と、M5が関わってるらし−んですがー。盗聴器も、よくわからないんですよ」
「M8……鈴木か」
 それは、油断できない。鈴木は私の書物のせいで、半野生化している。
「林少尉は、どーやら負傷したらしーんです。まー、小隊員は使い捨ての鉄砲玉なんで、死んでも大した事ないんですが。特に林は。で、彼に回収させるのは無理です。精神的に不安定になってますしー、特にF1とは幼馴染らしくて、何するかわかりませんから。それと、F1なんですが……動いてるんですよ。どうやら、M5が運んでるらしーんです」
「らしいらしいでまともな報告ではないな」
「すみませんねー。連中のガダルカナル22号、調子悪いみたいなんです。覚醒のせいですかね?」
「さて。覚醒については、未知の部分が多い。一概には言えんな。だが、関係あることは確かだ。F11、幽月の首輪は、どうだ?」
「最悪ですなー。完全に原因不明です。技術官が首傾げすぎて、今にも首の骨折れそうですわ」
「だろう。だから……われわれは、覚醒した者、ニュータイプたちが脅威にならぬよう、調査しなければならないのだ。その結晶の一つが、月見里羽羅なわけだが……」
 そう結ぶと、取り敢えず一服吸い、さらに言った。
「くれぐれも、早い確保を頼むぞ。対象が死んでは、元も子もない。ただし、ゲームには影響を与えるな。ほかに覚醒候補者が居るかもしれん」
「はーっ」
 松平は敬礼し、そばに居た士官に指示を飛ばした。
「しかし、小隊投入は正解だったな。そのお蔭で、こんなに早く覚醒者が出た」
「まったくですなー。鉄砲玉万歳ですわ。無事帰ってきたら、昇進させてやりましょー。帰ってこなかったら、2階級特進ってことで」
 そういうと、松平はダーッハハハハッと笑った。

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