第X話 4月24日


「えーと、1789年バスティーユ監獄襲撃、フランス革命。1804年、ナポレオン皇帝就任……」
 あーもーっ、歴史って嫌いだ。ひたすら覚えるだけで、少しも面白くない。しかも、解答が明快じゃない。何故こうなるのか、サッパリわからない。数学とかは、答えが明快かつ単純に出るから、とてもやり易いんだけど……国語と歴史は駄目だ。回答に至る道筋がわからない。
 やめた!ちょっと休憩。なんか飲もう……。と、その時、ノック音が。
「は〜い?」
「芝村さん?中里です」
「あ、はい。開いてます」
 中里……学級委員長か。こんな時間になんだろ?
「あの、遅くにすみません。よろしければ、勉強、一緒にしませんか?」
 中里と、柏が一緒だった。
「明後日の、実力テスト対策で……数学を教えてもらいたいんです」
 ああ、そういえば新学期の自己紹介で、数学得意って言った気がする。
「えぇ、かまわないけど……柏さんも、数学得意じゃなかったっけ」
 私は、柏を見た。なぜか、すごく緊張してる。あれ……何?緊張って言うより、コレ……。
「……ごめん、翔架。あたし、急用思い出した。帰るね」
「えっ、和美ちゃ……」
 中里が止める間もなく、和美は出て行った。ドアを閉める間際、あたしをひと睨みして。
 な、何あれ……。しかも、さっきのは……殺気。
「ご、ごめんなさい。和美ちゃん、どうしたんだろね?」
 中里が取り繕うように言う。
「良いよ、気にしてないから。それより、数学教えて欲しいんでしょ?」
「あ、そうそう、お願いできる?」
「私は構わないわ。その辺座ってて。何か飲むものとってくるから」


 小1時間で、あたしと中里はすぐに打ち解けた。
 彼女は私と逆に、国語と歴史が得意だった。数学についたあらかた教えた後、私は日本史についていろいろ教わった。中里は物事を順序立て、適切な言葉で、時に余談を交えて教えてくれた。翔架の教え方は、どちらかというと教えるのではなく、歴史を物語仕立てで話してくれた。これがまた、わかりやすい。こうして聞くと、今まで独立していた事柄が、密接に影響しあって起きていたことがよく判る。
「すごいね、翔架。歴史ってこんなに合理的だったんだ。教えるの上手だよ」
「そんなことないよ。それに、雪ちゃんのお陰で、数学だいぶ出来ちゃったし。教えるのなら、雪ちゃんのほうが上手」
 大したことじゃない。数学なんて、公式を覚えて、どれに使えばいいかさえ把握すれば、すごく簡単だ。わからない人は、それを難しく考えてるだけ。数学の単純さを理解すれば、誰にでもできる教科だ。私は、その単純さを教えただけ。
「ふぁあ〜。あ、眠いと思ったらもう11時なんだ。そろそろ帰るね」
「いいよ、同じアパートだし、もう少し居たら?」
 翔架は、この学生アパート、典の間に住んでるのを、さっき聞いた。ちなみに、あたしの住んでるこの部屋は、貴の間。最初は変な名前に戸惑ったけど、もう慣れた。
「そう?じゃお言葉に甘えて……」
「そうこなくちゃ!」
 そう言うと、私は眼鏡を外し、冷蔵庫からビールを2缶取り出した。
「え、私、お酒は……」
「飲めない?」
「そう言うわけじゃないんだけど……」
「じゃ、OKOK♪」
 自慢じゃないが、酒は大好きなのだ。1人でただ飲むんじゃなく、誰かとおしゃべりしながら飲むのが。最近、そういう人が居なかったから、ビールが余って仕方なかったのだ。
「じゃ、乾杯!」
「うん」
 っんく、っんく、っんく……フー、久しぶりに、おいしい……。
「ふぅっ……」
 あらら、翔架、もう出来上がっちゃってる。顔が緩んでる。
「まだ一口よ?ダイジョブ?」
「ははは、何が?」
「ちょ、ちょっと翔架……」
「はは……おっとっと、うん、大丈夫だよ?」
 とか言いつつ、ビールを口に運ぶ。目は虚ろだ。
「うー……おいしい……」
 ヤバイ。やめさせたほうが良いんじゃないかな……?
「あれ?雪ちゃん、アレは何でふかぁ?」
「へ?」
「ほぉら、窓の外」
 翔架に指差され、私は背後の窓を見て……。
「!」
 変な影が、窓に映っていた。外が暗いので、逆光でよく判らないが……ピンときた。人影だ。こんな夜中に、女の部屋の前で怪しい事を……痴漢だな。私はベッドの下のバットを引っつかむと、気配を殺して窓に近寄った。
「何やっとんじゃゴルァ!」
 気合一発、窓を開け放し、バットを振る。もちろん本気じゃない。この掛声、昔に戻りすぎかな……。
「うを、危ねぇな……」
 しかし、不意を突いたはずの一撃は、あっさりかわされてしまった。
「へっ……?」
 そこには、小柄で色白のロン毛男が、突っ立っていた。アレ、この顔どっかで……あ!
「あんた、佐藤ね!」
「そう言うお前は……芝村?芝村か!眼鏡取ってるから、わかんなかったぞ。ホー、意外に美人じゃん」
「アレ?佐藤君だぁ」
「おぉ、委員長もいるのか!二人で酒盛り?いいねぇ、俺も混ぜてよ」
「何言ってんのよ!あんた今、痴漢しようとしたでしょう!」
「痴漢?人聞きの悪い。俺は、酔いを醒ましてるだけだぞ」
 飲んでるのか、コイツ。そういえば、頬が、ほんの少し赤い気がする。
「なぁ、一緒に飲もうぜ。なぁー」
「だー、うるさい!あっち逝け!」
「その辺にしとけ、慶蔵」
 いきなり、太い声が聞こえ、あたしはギクリとした。そして、佐藤の後ろに、背の高い男が、フラリと現れた。
「悪いな、芝村。こいつ、すぐ連れて帰る」
「あ、前原君もいるんだぁ」
 翔架のけだるそうな声で、それが前原だと認識した。
「えぇ、帰るのかぁ?前原も一緒に、芝村ンとこで飲もうぜぃ」
「アホ。迷惑しとるだろうが。さっさと戻るぞ」
「じゃあさ、二人とも、今度花見行かない?4人でさ、酒いっぱい持って」
「お酒いっぱい?いくいく!」
「ちょっと、翔架!」
 駄目だ、完全に酔って性格変わってる……。
「とにかく、いかない!私たちは受験生なんだから、遊んでる暇ないのよ!」
「夜中に酒飲む暇はあってもかぁ?」
「こら、いい加減にしろ」
「じゃあさ、今度諏訪にでも……」
 しつこい……。
「そこまでだ。行くぞ」
 前原が、佐藤の首筋を掴み、ひょいと持ちあげた。
「えーっ、戻るのかぁ?野郎二人で飲むより、可愛い娘と飲んだほうがうめぇよ」
「野郎で悪かったな。芝村、迷惑かけた。それじゃ」
「あ、今度から、俺のことは慶蔵でいいよーっ」
 そんな断末魔の声を残し、佐藤と前原は去った。
「前原君、ここの2階なんだよ。知ってた?」
「ふぅん……」
 やれやれ、酔いが醒めてしまった……まだ醒めるほど酔ってないか。ふと見ると、翔架は寝ていた。安らかな、寝息を立ててる。
「………」
 それを眺めながら、窓枠に腰掛けビールに口をつける。そして……思い出していた。プログラムで死んだ、あの娘を。
 いけない、せっかく忘れてたのに。いや、忘れてなんていない。脳髄の一番奥に鍵付で封印してあったモノが、込み上げてきただけだ……。
 再び封印するのに、暫くかかった。
 何で、封印が解けたんだろう……。少し、考えてみた。別に、翔架はあの娘に似てるわけじゃない。性格は、微妙に似てるかもしれないが、そっくりって程じゃない。なんでだろう……。
「あっ、そっか……」
 似てるのは翔架じゃない。この状況だ。あの娘が酔って眠って、私がこうしてちびちび遣りながら見てる。こんなことが、前にもあった……いけない、まただ。私は、缶の中身を一気に煽った。唇から、少しビールがこぼれ、頬の辺りをつたった。つったのは、ビールだけじゃなかったようだった……。


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